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日本三名園の一つに数えられる、廻遊式かいゆうしきの庭園

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産

水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。金沢城の外庭である兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、園名の由来である優れた景観の代名詞「六勝」(注1)を兼ね備えた庭園として、また、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。

広大な土地に、池、築山、御亭を配した、廻遊式の庭園

兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。廻遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。辰巳用水を引き込み、池や曲水を設け、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植えているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。

歴代藩主が抱いた繁栄の願いを投影

何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初に作庭した5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。

(注1)園名の由来「六勝」

兼六園は、中国宋の時代の古典『洛陽名園記(らくようめいえんき)』において、「湖園(こえん)」を解説した一節を引用して命名されたものであり、書には『庭園では優れた六つの景観を兼ね備えることは本来難しいが、「湖園」はこれらが共存している』とのことが記されています。この六つの景観である『六勝』とは、三組からなる『宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)』『人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)』『水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)』のことです。「宏大」とは広々とした様子、「幽邃」とは静寂や奥深さのことであり、相反するものであります。また、「人力」とは人の手が加わっていること、「蒼古」とは昔ながらの自然を感じさせることであり、両者は矛盾する関係にあります。そして、「水泉」とは水の流れや池、滝などを指し、「眺望」とは見晴らしがよいことでありますが、様々な水の競演を楽しみながら遠望を楽しむことはなかなかできません。
兼六園では、こうした相反する六つの景観を調和させ、対照の美が園内各所で演出されており、特に「水泉」と「眺望」の共存は他の庭園が真似できない兼六園の最大の特徴とされています。

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(兼六園公式ホームページ)